今回は、神奈川県の小田原出身の26歳、濱本葵さんにお話を伺います。引っ越しが多く、お金のない子ども時代を経て、高卒でキャバクラ嬢や携帯販売、一時はニートも経験した濱本さん。現在は、埼玉でキャリアカウンセラーとして仕事を探す若者に寄り添い、支えています。
 
「お金がない」に振り回された学生時代

向坂 くじら(聞き手):
どういう仕事、どういう人生を歩んできたのか伺いたいと思っています。まず、濱本さんはどんな子どものころを過ごしたのでしょうか?
 
濱本 葵(株式会社アウスタ キャリアカウンセラー):
生まれは小田原で、小二のときに一回大阪に引っ越して、そこから茅ケ崎に転校して、それでまた小田原の同じ小学校に戻ってきたの。
大阪に引っ越すときは夜逃げだったから、二週間くらい小学校に通ってない期間があるんだよね。音信不通で捜索願出されてた(笑)。誰にも言わずに、夜中の2、3時くらいに、おばあちゃんのスポーツカーで、ママと弟と私で車に乗り込んで、高速で大阪に行った。そこで二、三週間くらいホテル暮らしだったのかな。おばあちゃんにしてみたら、車がないし、私たちもいないし、捜索願を出された…っていうのが一回目。
そのまま大阪の小学校に転校して、四年生に上がったころ、茅ケ崎に引っ越した。それで5年の終わりくらいまで茅ケ崎。そのあと、当時母方のお母さんが小田原に住んでたから、そこに戻ったっていう感じ。多分お金の問題だったのかな。
学校生活では苦労した覚えはないかな。人並みに好きな子ができたり。そのまま中学校にあがって、神奈川の高校にも進学した。
 
向坂
どういう中高生だったのですか?
 
濱本
中学のときまでは、やればできた感覚があった。成績が良かったんだよね。
高校受験のとき、前期選抜が内申点と面接、後期選抜が筆記試験だったんだけど、前期選抜で行きたかったんだよね。面接は結構自信があって、内申点で行けたらなって思ってた。内申点も結構高かったんだよ。そのときすごく行きたかった高校が、行けるか行けないかギリギリだった。だから、そこを受けるなら滑り止めを受けなきゃいけないんだけど、親に受けさせてもらえなかったんだよね。
これを言うってことは恨んでるんだろうなって自分で思うけどね。「滑り止めは受けさせない、一個受けたところが受からなかったら働きなさい」って言われて、受からなかったときのことを考えちゃった。落ちたら言う通り働かなきゃいけない、じゃあ確実な方法を……っていうことで、高校のランクを偏差値10くらい落として受かりました、っていうのが、私の高校受験だった。今考えれば、死ぬほど勉強して、自信が持てたら行けたかもしれないけど、そこまでメンタルが強くなかったんだよね。
今思えば、それがすこし自分の反抗心というか、「やりたいことができなかった」っていうところに通じてるんじゃないかな。高校生活も、心のどこかで「行きたいところじゃない」っていう気持ちがあった。ある程度は仲良くしてたけど、やっぱりちょっとついていけなくて。「こんなはずじゃなかったな」みたいな気持ちの表れで、先輩なんかとつるむようになった。荒れてた。個人的には全然反抗期とかないって思ってたんだけど、なんかすごい反抗期だったみたい。
 
向坂
高校のときは何して過ごしてたんですか?
 
濱本
ずっとバイトしてた。近所のコンビニで一年半働いて、自分がやったことに対してお金がもらえる喜びをすごく感じた。「ああ、自由だ」って思ったんだよね。
そのあとは居酒屋で働くようになった。そこで年上の先輩とかとつるむようになって。やっぱりこう、同級生よりも年上の人の方が楽しいって思ってた時期だったかな。バイトするまでずっと、「お金がない」ってことがすごく大きかったんだよね。給食費とか教材費が払えなかったり。集金日だってことは先生に言われてるから分かってるんだけど、その袋をお母さんに渡してお金を入れてもらうっていうことが、ちょっとしんどい作業だったんだよね。すごくそういう覚えがある。図工で使うキラキラしたモールとかも、買ってもらえないと思っているから結局言い出せない。
 
キャバクラをやめて、携帯販売店の店長に

濱本
で、高校を卒業するんだけど、高校としては、卒業した後進学をするか就職をするかは絶対必要って感じで、97パーセントが進学。私が知る限り、就職をした子は私を含めて5、6人だった。就職した他の子は縁故採用か消防士で、私もいろいろ受けてはいたんだけど、最終的に決まらなかったんだよね。そうしたら先生が見かねて、高校の非常勤のスクールアシスタントとして働きながら就職活動をすることになった。スクールアシスタントは期限付きだったから、そこでもまたお金のことがつきまとっていて。車の免許をとるときに、親に「全部自分で出しなさい」って言われて、どうしようと思って始めたのがキャバクラの仕事だった。キャバクラだったら3000円もらえるんだよね、1時間働いたら。3時間働くだけで9000円。「え、めっちゃいいじゃん」って思って、車の免許をとるお金を貯めるっていう名目で、親にも話した上で働きはじめた。とくに反対されたりはしなかった。不思議だよね。でも、夜の世界って独特な人が多いから、嘘とか、見栄とか、そういうのが嫌になっちゃった。
それで辞めて、始めたのが携帯販売のお仕事。自分が携帯を買ったお店に、あのときの店員さん対応よかったなーと思って、「頼もう!」って応募の電話をかけて、まずアルバイトで受かった。「縁があった」っていうのは、私の人生ですごくポイントかもしれない。必要なタイミングでものがあったり、人があったり、お金があったり。
 
向坂
ぜんぜん仕事が途絶えなかったのですね。
 
濱本
私、働くの好きなんだよね。働きたくないって思ったことはない。仕事がいやだとは思ったことあるけど、働くのは全然嫌いじゃない。やったことに対して対価がもらえるっていうことがすごく嬉しい。1年間アルバイトで働いたあと、「3か月連続達成目標の販売台数を達成できたら正社員登用のチケットを得られる」っていうシステムで無事社員になって。それがたまたま店長が異動になるタイミングだったから、20歳のときに社員登用と同時に店長になった。でもね、そのときのメンバーに、私よりも年下って一人もいなかった。
 
向坂
それで店長なんですか!
 
濱本
そうなんだよ。それで2年くらいやったのかな。それで異動になって埼玉に来た。22歳で埼玉に来て、そこでも店長をやって、規模もやることも増えて、結局その仕事はやめるんだよね。埼玉でもなお自分より年下はいなくて、同じ境遇の人がいないっていうのは、やっぱり疲れてしまって。女性の店長も、同じ役職の人もいないし、みんな我が強いんだよね。それで、退職をした。