今回は、大学を1年で中退後ジャズミュージシャンを目指すも、大きな転機を経て、現在は大手IT企業でデータアナリストの仕事をしている、渡辺玲央さん(1995年愛知県生まれ)にお話しを伺った。

祖父の影響でジャズを好きになり、まだ見ぬ世界に興味を持った

古屋
(インタビューワー、本法人代表理事 以下、敬称略):渡辺さんは現在東京で、大手IT企業のデータアナリストとして働かれています。元々東京出身ではないとのことですが、いつ頃まで地元にいらしたのでしょうか。

渡辺
出身は愛知県の扶桑です。僕は3人兄弟の長男で、20才くらいまで地元にいました。5才くらいだったと記憶しているのですが、近くに住んでいた祖父の影響でジャズのCDに触れる機会があったんです。そこで幼いながらに衝撃を受けました。

僕はチャーリー・パーカーというアメリカのジャズミュージシャンに傾倒したのですが、まわりの友人とはジャズの話で盛り上がることができなかったのがさみしくて。色々調べると県内にジャズ部のある高校があることがわかり、その高校に進学したいという気持ちが芽生えました。それと、ジャズの本は洋書が多いので、原典を読み込むために英語力も必要だなと思い英語科を志望しました。

その後、無事志望していた高校に進学、ジャズ部に入部しました。部員は50人以上の大所帯で、僕はアルトサックスを担当しながら、ビッグバンドのバンドマスターという、リーダー的な役割を担っていました。

僕自身はもっとうまくなりたいという気持ちが強くて、毎日練習していましたし、土日は朝8時頃から夜まで一日中練習していても苦ではなかったのですが、周りの部員の意欲がさほど高くなくて、そのギャップが辛かったです。

古屋
希望通りの高校・部活に入っても悩みや葛藤があったのですね。学業のほうではどうでしたか?

渡辺
英語科だったので、外国人の先生による日本語禁止の授業や英語合宿などはありました。特に、ジャズ部の指導をしてくれていた外部講師の人は面白かったです。

生徒それぞれの個性を尊重してくれる人で、いろんな選択肢があるということを大人の視点からアドバイスをしてもらいました。「別に、入った大学で人生は決まらない」とか「一番できるヤツが手加減しないと組織は進まない」といった話をされたのを、いまでも覚えています。それがきっかけで、「色んな大人の話を聞きたい」と思うようになりました。

その後、父の友人で会社を経営している方の話を聞いたり、ジャズ関係の仕事をしている経営者の話を聞いたりして、お金やビジネスについて実体験に基づいたリアルな話を聞く機会が増えました。そのうちに「経済を学んでみたい」という気持ちが芽生えました。それで、大学では経済学部に行きたいと思い、地元私大の経済学部に進学しました。

退屈な大学を辞めて

渡辺
うちは父子家庭なのですが、僕が中学生の頃に父が病気を患い、大学を卒業できるかわからないなと、半ば覚悟の上で大学に進学しました。1年が経ち、期待していた大学生活とは程遠いことに憤りを感じていました。講義は退屈でしたし、周囲の人たちはサークルや飲み会と遊んでばかりで、僕は図書館とバイトを往復する毎日を送るようになりました。

このままいっても人生楽しくないんじゃないか、とか、自分自身何がしたいのかわからなくなって、金銭的なこともあり大学を辞めました。

古屋

大学を辞めるのは勇気がいることですよね。辞めてやりたいことがあったわけではないのですか?

渡辺

むしろ、大学を辞めないと道がないような気がしていました。かといって行先は決まっていなかったので、しばらくフリーターとして本屋やジャズバーでバイトをして生活していました。

内心では、プロのミュージシャンになれたらいいな、と思ったりもしていました。でも、バイト先のジャズバーでお客さんが一人しかつかないようなバンドがほとんどで、その一人が支払ったお金を店側と5人のメンバーで折半するという、厳しい実情を目の当たりにしていたので、「音楽で食べていくのは厳しいのだな」と現実を知りました。

ジャズで食べることを追及するのは、自分の人生として少し違うかな、とも思いました。

チャンスを求めて東京へ

古屋
ジャズバーでのバイト生活と、今のデータアナリストというキャリアが、あと2年で結びつくとは到底思えないのですが(笑)、何か転機があったのでしょうか。

渡辺
フリーター生活を1年近く続けていたある日、Twitterで「ハッシャダイ」という若者を対象とした学歴不問のインターンプログラムの広告が流れてきたんです。面白そうだな、と思って、インターンに参加するために東京に行こうと思いました。

古屋
そんな風に思い切れる人は珍しいですね。17万人いる高校生就職者の8割以上は地元の県内で就職しているデータがあるのですが、渡辺さんはそうではなく東京に出るという選択をできたのはなぜだと思いますか。

渡辺
今でこそハッシャダイのプログラムは有名になってきていますが、当時はまだ実績もなく怪しいなとも思いました。調べていくうちに、企業理念が自分の考えに近くて魅力を感じました。

例えば僕は、小学生の頃から義務教育に疑問を感じていたんです。学校の成績の良し悪しは、母親のサポートが十分かどうかや、塾に通っているか、先生から気に入られているかなど、副次的な要素も大きく影響すると思います。

勉強できる環境があれば成績が伸びるのは当然なのに、そこで人間としての優劣がつくかのような錯覚に違和感がありました。ハッシャダイは、大卒者と非大卒者の「選択格差」のない社会を目指していて、挑戦したい人は環境に関係なく誰でもいつでも挑戦できるんだというところが参加の決め手になりました。

上京初日は、同期の8人と渋谷の居酒屋で食事をしました。何を食べたかは全く覚えていないのですが、期待に胸弾み、ただ楽しかったのを覚えています。同期は今では3人しか残ってないんですけどね(笑)。

プログラムが始まってからは辛かったです。特に訪問販売の営業では、人間ってこんなに冷たくなれるんだなと。ネット回線や電話回線の販売で、テレアポしたり、個人宅をアポなし訪問したりするんですが、怒鳴られたり、警察を呼ばれたこともあって。精神的にも限界が近かったです。

もう辞めようかなと思うこともありましたが、同い年の社員の方が根気よく相談に乗ってくれたり、同期や先輩にも助けられながらなんとか半年ほど続けました。

会話が理解できないところからの出発

古屋
現在の職場に入社したきっかけは?

渡辺
ハッシャダイの取り組みがメディアに取り上げられたのをきっかけに、今の職場のGM(ゼネラルマネージャー)が関心を持ったようで、採用面接を通して僕が選ばれました。ジャズ部の話をはじめ、主体的に行動するところが評価されたのかなと思います。

古屋
現在のお仕事はいかがですか。渡辺さんはデータ分析の専門性があったわけではないと思いますが、はじめは大変ではなかったですか。

渡辺
仕事は楽しいです。もちろん経験もなかったですし、最初はプログラムもかけなかったので戸惑いも大きかったですが、周りの人に教えてもらったり、自分でも勉強しながら次第に慣れていきました。

最初の頃は、プログラムだけでなく、社内用語とか、よくわからないカタカナのビジネス用語とかが頻繁に会話に出るので、そもそも何がわからないというか、会話ができなくて困ることが多かったですね。みんな何語を話しているんだろう、と思っていました。

今の仕事は、美容や旅行分野のデータを活用してKPIを出したり、データ分析して、営業さんがクライアントさんと会話する際の資料の元ネタとして活用されています。自分が分析したデータに対して、営業の方や部内の先輩などからフィードバックを貰うことや、「あのデータ、クライアントさんに刺さったよ」と喜んでもらえることが嬉しいです。

いつからだって、なりたいものになれる

古屋
今後の目標ややってみたいことなどはありますか?

渡辺
ずっと今の会社にいるかはわかりませんが、少なくとも今の職場でGM(ゼネラルマネージャー)になるくらい成長したいと思っています。自分のようなキャリアの人はほとんどいないので、まずは今の会社に認められたい。そして、データを活用して世の中の課題解決をできるようになりたいですね。

もう一つは、非大卒のコミュニティを作りたいと思っています。慶応大学の三田会など、大学によってはOBコミュニティがありますが、僕のように非大卒で大手企業に勤めている人は圧倒的にマイノリティ。孤独でもあります。

後輩たちのロールモデルになるためにも、GMを目指したいと思っています。とはいえ、不安なこともたくさんあります。今年も新卒が入ってきて、大卒入社の人たちは僕と同い年が多いのですが、彼らと比べると僕はデータ分析に関する専門的な勉強を何もしてこなかったので、このままでは負けるのではないかと不安になったりします。でも、僕にしかできないことで勝負していかないと、と思っています。

僕は、人は、いつからだって何にだってなれると思っていて、僕自身もともとデータアナリストになりたかったわけじゃないのですが、色々な人の影響を受けながら、こうして今の自分がいるように、僕の行動が、いつか誰かに良い影響を与えられたらと思っています。