一般社団法人スクール・トゥ・ワーク

 スクール・トゥ・ワークでは、これまで日本社会において「大卒」との比較によって「非大卒」と呼ばれてきた若い世代の人々を「早活人材」と呼んでいます。これは、学歴や学校歴によって個々人のポテンシャルや力を表現するのではなく、期就職動人材」、「期職業動人材」や「躍人材」といった自分が起こした“アクション”に対する略称として表現したものです。

つまり、「早活人材」とは、「キャリアを早いタイミングで選択した人」という時間軸に重きを置いたものでもあり、若者が主体的にキャリアを選択したといえる名称と考えています。

 

「早活人材」が生きていく職業社会について

この社会、特に職業社会は、大きな変化の時代に入っています。産業構造の大きな変化、人生100年時代の到来、そしてAIや5Gなど革新的技術の登場。こうした社会の中で、「40年同じ会社で働き続ける」、「20年かけて課長を目指す」、「10年下積みする」といったこれまでの日本社会で当たり前だったキャリア形成のプロセスは、すでに若い世代にとって説得力と求心力を失っています

その中で、人生100年時代のキャリア設計は、「学校→会社→引退」という3ステップから、より多くのステップを持つものに変化していくでしょう。誰もが「学校のあとに会社勤めをして引退」という社会は終わったのです。そんな社会で、最も大きな学びのモチベーションはどこから生まれるでしょうか。学校の机の上からでしょうか。働いて生まれる、「もっと学校で勉強しておけば良かった・・・」という気持ちは多くの人が持つ後悔でもあります。そう、働いて初めて大きな学びのモチベーションが生まれるのです。「早活人材」が持つ、「早く職業活動をする」、「早く活躍する」ということは、実はこれからの時代のキャリアづくりのキーポイントでもある、私たちはそう考えています。スクール・トゥ・ワークに関わる多くの「早活人材」からも、「大学で学びたいことがある」、「大学院(!)で研究をしたいことが見つかった」という話を聞くことが多くあります。早活人材は、昭和時代からのレガシーである“3ステップ人生”の次を切り開く可能性を秘めているのです。

 

「早活人材」から始まる、日本のキャリアづくり革命

現在の高校卒業者の就職には大きな問題がたくさんあります。「就職させる」ことがミッションである学校・ハローワークと、「自社で働かせる」ことがミッションの会社の二者では、もはや彼らを支えきることはできません。自分のキャリアを作るということ。自分の人生を振り返って自分のこの先の人生を決めていくということ。十分な支援があれば「早活人材」には、会社も、学校も、親も決められないことを、自分のアクションを土台にして決めていくことができる、そんな潜在力を感じています。

また、日本人の大学進学者のほとんどは20歳前後の就職活動時になってようやく自身のキャリアについて考え始めます。その後の就活を経て、結果として3割の大学生は3年で離職しています。高校で就職するかどうかに関わらず、早くキャリアに関する活動を開始することは、これからの若い世代のキャリアづくりの大きなポイントとなっていくことでしょう。

日本においては長く、学校空間と企業社会が分断されていました。使う言葉も、評価される力も、目指すものも異なる二つの場。この二つを繋ぐ“スクール・トゥ・ワーク(学校から職業へ)”の穴は、企業における新卒一括採用と一斉研修、OJTによる教育システムといった、「企業が若年社会人を受け入れてコストをかけて育成する」という仕組みによって埋められていました。しかし、現代社会においては企業にその余裕はなくなっており、新卒採用よりも中途採用の割合を高めるという方針を打ち出す大企業も現れています。「学校→会社→引退」という仕組みは、制度疲労を起こし崩壊が迫っているのです。

折しも、これまで120万人弱を保っていた日本の18歳人口は、2020年から急激に減少します。若者の数が急減し、キャリアづくりも大きく変わりゆく時代。社会を担う貴重な若者である「早活人材」がどう活きそしてどう活かすのか、もう模範解答を漫然と受け止めていれば良い時期は終わりました。みなで考えなくてはならないときがやってきたのです

 

 

古屋 星斗

一般社団法人スクール・トゥ・ワーク 代表理事 

1986年岐阜県多治見市生まれ。大学・大学院では教育社会学を専攻、専門学校の学びを研究する。卒業後、経済産業省に入省し、社会人基礎力などの産業人材政策、アニメ・ゲームの海外展開、福島の復興、成長戦略の立案に従事。アニメ製作の現場から、仮設住宅まで駆け回る。現在は退官し、民間研究機関で次世代の若者のキャリアづくりを研究する。