執筆者 @schooltowork | 4月 3, 2021 | ブログ, 非大卒人材
「学び直し」が流行していますが、それは「人生で、本格的に学ぶ時期が若いうちに限定されない」という社会が到来したことも意味しています。今回は、高校卒後に就職した会社で職業人として活躍した後に、大学院生となった平田朗子さん(以降敬称略)にお話を伺いました。(聞き手:代表理事 古屋)
古屋:
本日はよろしくお願いいたします。まずご略歴を教えてください。
平田:
東京都の普通科高校の国分寺高校を卒業しました。卒後リクルート社に入社して、情報システム部、営業推進部などの内勤のあと、住宅情報の営業を10年ほどしていました。その後、新規事業企画を4年しまして、現在勤務するリクルートスタッフィングに出向、転籍。営業部門で営業マネージャーをしたのち、営業部長をしていました。その後現在は、スマートワーク推進室で従業員及び派遣社員のテレワーク促進等の働き方改革の仕事をしています。
古屋:
ありがとうございます。きらびやかなご経歴で何を聞こうか迷ってしまいますが、本日はまず、高校卒時の就職活動について伺いたいです。
平田:
高校では、就職する人が他におらず、自分だけ就職でした。このためほとんど就職のサポートはなかったです。
作家やジャーナリストになりたかったので早稲田大学の“一文”に行きたいと思っていました。ただ、実家が自営業で経営をしていたのですが、あまりうまくいっておらず金銭的に厳しかったんです。ですから、高校に入ったころからバイトをして学費を稼いでいました。
大学に行くとなると、普通にバイトするだけだと学費が足りなかったので、このため一度就職してからお金をためて進学しようと思いまして。また、やりたい仕事が作家やジャーナリストだったので社会人経験を積むのもためになるかもしれない、とも思っていましたね。
古屋:
就職活動について、学校のサポートはいかがでしたか?
平田:
先生はあまり就職についてご存知なかったです。大学の「赤本」がある部屋に、学校に来た就職案内があったので自分で見ていました。その中で探したんですが、今でも覚えているのが渋谷区役所の求人で、初任給が10万円。月給だけ見れば当時していたバイト代と変わりませんでした。年間120万ではちょっと暮らせないな、と思ったことを覚えています。
そこで月給が高い順番に並べて見ていくと、14.7万円でバスガイド。13.2万円でリクルート。これが1位、2位でした。ただ、遠いところに行くと大学に通ったりしづらくなるかなと思いバスガイドは候補からはずれました。結局、入社後に仕事が楽しくて大学に行く気持ちも忘れてしまうのですが。
また、リクルート社の就職案内は、高校卒で働いている社員の写真とエピソードが載っていてどんな風に働くのかとかどんな人が働いているのかなど、イメージしやすかったことも決め手になりました。ほかの企業の案内は条件などの文字中心でイメージがわかないものばかりでした。そのパンフレットを見るまでは、当時リクルート社のことは全く知りませんでした。
就職しようと思ったのが秋でギリギリだったんですが、申し込んだら直後に「10月1日に面接がある」と言われて銀座の会場にいきました。まずオフィスが立派なことに驚き、面接を受けに来た高校生がたくさんいたことにも驚きました。筆記試験と面接があり、その日の夜に「通過したので」と電話がありました。面接は2日間ありました。
親にも選考を受けたことを言っていませんでしたので、家の電話にかかってきた一次面接合格の連絡を、親が間違い電話だと思い、切ろうとしたのを慌てて代わり結果を聞きました。
古屋:
知らない会社でもパンフレットで年の近い社員さんの様子がわかると親近感がわきますよね。何名くらい採用されていたのでしょうか。また、会社選びにあたっては給料以外に気にしたところはありましたか。
平田:
私が入社したのは1985年ですが、同期で30数名が高校卒でした。大学卒は500人、短大卒が20名ほどいました。高校卒は、地方の高校から積極的に採用していたそうで、自分以外に東京の高校生はいませんでした。
当時は、仕事のイメージがわかなかったので、条件(給与)をみるくらいしか企業を比較しようがありませんでした。高卒で就職する人は早く自立したいと思っていたり、実際に早く自立を迫られる環境にいたりするので、アルバイト経験がある人も多く、当時の私のように時給で給与を見る感覚が強いのではないでしょうか。
古屋:
入社後の研修についてはいかがでしたか?
平田:
研修は学歴に関わらず全員が一斉に受けるものと、学歴別の研修の2つがありました。そのほかにも、同じ職場で部署の研修があったので高卒大卒問わず同じ部署の人は特に「同期的」な感覚がありました。
よく高校卒で事業所配属されると、「直近の先輩が45歳」とかで世代のギャップがあり、辞めてしまう、みたいな話を聞きますが、私は大量採用時代ということもあり、幸いなことに年齢の近い同期がたくさんいたので、楽しかったです。その「同期」のみなさんとは、いまだに交流があります。
特に入社前の1泊2日の研修は、様々なワークを通して同期同士で仲良くなるのが目的で、冬休みだったか春休みだったかの長期休暇を利用して実施されました。働きはじめていきなり「はじめまして」、ではなじむのに時間がかかったと思いますので、入社した時に知っている顔があるというのは良かったなと、思います。
古屋:
右も左もわからない新入社員の頃の「同期」ほどありがたいものはありませんよね。就職活動で高校にしてほしかったことはありますか?
平田:
年齢が1個上、2個上の働いている人の話を聞きたかったです。社会人の働く事例みたいなものがしっかり見えていたらその後の不安も全然違ったのではないかと思いました。
やはり高校生では見える社会が狭いですので。
古屋:
その後、冒頭で伺ったように、様々な仕事を経て活躍され、そんな中で大学院に行こうと思った理由は何だったのでしょう?
平田:
高卒ということもあり、自分には体系的な学びが不足しているのではないかとずっと思っていました。なので、20代〜30代の時は、グロービスに通ったり、ファイナンシャルプランナーの資格を取得したり、色々な学校に通いました。グロービスのプログラムはほとんど受けてしまい、もう受講するものがなくなってしまったくらいです。そんな中で、大学院進学を考えたのは、50歳になり、仕事について自分のなかでなんとなく行き詰まりを感じていたことが大きな理由です。またこの20年人材ビジネスに従事してきて、これが天職だと思ってきましたが、働くということを体系的に学んでいないと気付いたんです。
しかし、どうやって学んだらよいのかわからない。そんな時、たまたま、以前同じ職場だった先輩とご飯を食べに行く機会があり、丁度その先輩が大学院に行こうとしているという話しを聞いて。そこで、「そういう発想があるんだ」と。「私は大学出てないから無理かな」と相談したころ、「行けるみたいだよ。調べてみたら」とその先輩にアドバイスして貰ったんです。大学院の受験塾というものを紹介してくれ、そこにいって試験対策を教えてもらいました。大学院によっても異なりますが、私が受験したところは、研究計画書の審査と面接を経て、学部卒の人と同じように大学院を受験することができました。
(グロービスの友人たちと)
古屋:
志望先として選んだ教授のことはもとからご存知だったのでしょうか?
平田:
はい。その教授のゼミに会社の同僚が通っており、その繋がりで会社で講演していただいたことがあり、その時の話がアカデミックでありながら現実の企業の状況も踏まえたとてもわかりやすく納得のいく話で、この先生のもとで学びたいと強く思いました。
社会人大学院で、平日夜と土日で、働きながら通えることも大きなポイントでした。
古屋:
なぜ大学ではなく大学院に行こうと思ったのでしょうか?
平田:
「働くことを研究する」、という目的が自分のなかで明確でした。だとすると学部にいくのは遠回りなのかなと感じました。学部はもう少し目的が曖昧な状態で行くものなのかな、と。
また、これは申し込む時に知ったのですが、「教育訓練給付金」という素晴らしい公的制度があり、大学院での学習の経済的な負担が相当程度軽減されます。これは絶対に使った方が得ですので、学びたいことがある人ひとはみんな大学院に行くべきなんじゃないかと思っているくらいです。
古屋:
最後に、平田さんにとって、大学院に行くことはどんな良いことがありましたか。
平田:
たくさんあります。まず、様々な専門家である先生からの本や文献の紹介をしていただけること。普段自分が手に取らないような本を読むことで、知らなかった世界が開かれました。世界はこんなに広い、ということは大学院によって実感しました。世界が広がるということ自体がすごい学びだと思いますし、単純に知らないことを学ぶことが、毎日刺激的で、とても楽しかったです。
また、座学だけではなく、グループワークが多い授業形態からも様々な気づきがありました。同質な人が多い会社や友人関係とくらべ、本当に様々な職業や年齢や価値観の人がいます。大学院の友人と一緒に様々なことに取り組む中で、良くも悪くも、「経済効率重視」で物事を考える自分の偏りに気付かされました。ああ、本当に1つの偏った価値観の中にいたのかもしれないな、と、いい歳をして恥ずかしい話しですが、しみじみ実感しました。会社だけにいては、こういったことは実感として気付きにくかったと思います。
そしてその過程で、多くの友人に恵まれたことも一生の宝でした。みんなで侃々諤々熱くなって議論したり、ゼミ合宿にいったり、授業のあと飲みにいったり、なんだか青春でした。
大学院にいって本当に良かったです。世の中のことをたくさん知ることができて、自分の世界も広がりましたし、自分のことも少しは俯瞰で見れるようになったのかなと思います。そしてそんな中で、分かち合える友人が出来たこと。それが私にとっての大学院での学びの効果でしょうか。
古屋:
仕事でのご経験が大学院での学びと重なり合って、これからもたくさんの発見が出てきそうですね!本日はありがとうございました。
執筆者 @schooltowork | 10月 17, 2019 | ブログ, 非大卒人材
こんにちは。スクール・トゥ・ワークのもりかわです!!
この度、ブログの新企画となる【早活人材もりかわが行く!】を始めました。
こちらのコーナーでは、早活人材である僕が社会で活躍している同志(早活人材)のみなさんにインタビューをする企画となっております。
最終学歴別就業人口によれば、高校卒は25%、早活人材は過半数(51%)になりますが、例えば高校就職では“県外”に就職した高卒就職者はわずか18.8%(全国平均)であったり、高卒就職者は85%がハローワーク・学校の斡旋で就職であったりしている実態があります。さらには、高卒就職者の業種別割合では、製造業40%に対し、情報通信業はわずか1%となっているなどあります。
そのため、早活人材の多くは、活躍できるポテンシャルがあるにもかかわらず、キャリアのモデルケースが少ないこともあり、選択肢が狭まってしまっていると思います。
このインタビュー企画を通じて、一人でも多くの早活人材のみなさんに、自分のキャリアについて考えてもらえるようにしたいと考えています!
僕は、高校卒業後、芸人と活動をして、今は就職し、キャリアアドバイザーという変わった経歴を持っています。元芸人らしく(?)面白いトークで今を輝く早活人材の魅力を引き出したいと思います。
記念すべき第1回は高卒公務員からITエンジニアへとキャリアチェンジをされた、野原 素子22歳(のはら もとこ)さんにインタビューをしていきます!
スクール・トゥ・ワークの森川です!
本日は宜しくお願いいたします!!
やや緊張気味な野原さん
早速、野原さんのキャリアについてお伺いできればと思います!
現在はどういったお仕事をされているのですか?
今はIT企業でエンジニアとして働いています。
主にプロジェクト支援で客先に常駐をして仕事をしてます!
すっかり大人っぽくなっている…
最初に会った時はまだ未成年だったような。
※実は数年前に転職の相談で野原さんと初めて会いました。
改めてですが、野原さんの経歴についてたくさん教えてください!まず、高校時代とかはいかがでしたか〜?
う〜ん。これといってすごく変わっている生徒とかでは無かったと思います(笑)。
ただ、学校の制度が面白くて必修科目以外は自分で好きな授業を選択できるという制度でしたので自分の気に入った分野を選んで勉強をしていました。
あとは帰宅部だったのでつけ麺屋でアルバイトをしてました。
へえ〜!珍しいですね!
そう言えば結果としてその後は公務員になっていますよね?
当時は進学とか考えなかったのですか?
よく言われるのですが、当時は大学などに進学すると言う気持ちは全く無かったです。
したくないという訳ではなかったのですが、進学をしてまで勉強したいということが無かったに近いです。
それであれば早く働きたいと思っていました。
なるほど。
僕は進学できる程の頭が無かったのですが、それとは大違いですね。
そしたら先生が公務員を勧めてくれて、目指すということになりました。
もちろんたくさん勉強をして、対策をしました。
公務員になった経緯はこんな感じです。
すごいですね〜。
公務員といってもたくさんありますが野原さんはどんなことをやっていたのですか〜?
簡単に言うと、税務職員です。国税局とか聞いたことないですか?
あ、なんとなくわかります(笑)。
高卒でもそういうところに入れるのですね!
~公務員時代~
ふと思ったのですが、なんで辞めてしまったのですか?
気になりますよね(笑)。
実は働いている中で少し体調を崩してしまって。
そこからキャリアについて考えるようになり、思えば先生に勧められて公務員になったのですが、自分の将来だしせっかくならしっかりと考えてみようと思って退職をしました。
そう言う背景があったのですね・・
ってか、すごいしっかりしてますね!
僕が19歳の時って芸人をやってて…
悲しくなるのでやめときます。
ネタ作りをするはずが気が付いたら風船サッカーをやっていた芸人時代の話など恥ずかしくてできない。
辞めた後はどういう経緯でITの世界に飛び込んだのですか?
いきなりITを考えていた訳ではなく、最初は事務職で考えてました。
だけど事務職って正社員だと求人が少なかったりして、一度考え直そうと思った時にITと言う選択肢が出てきました。
もちろん不安もあったので勉強をしながら転職活動をして入社をしました。2社くらい受けたのですがすぐに決まりました(笑)。
それもすごいですね!(笑)
まあ、企業としても野原さんみたいに明るくて素直な方がきたら嬉しいですよね。
褒めたのですが一切聞いてない野原さん。
IT業界で働いてることは高校時代の友達とかも知っているのですか?
まあそうですよね。
僕も周りから驚かれます。
友達いないけど(小声)。
現場だと一番若いですね!
もうじき後輩とか来ると思いますが…
すごいですね!
ITだと専門用語とか多いと思うのですが、野原さんなりの秘訣とかあるのですか?
う〜ん。
分からない単語はひたすらネットでググります(笑)。
わかったフリをしないのが大切ですね!
さすがですね!!
僕も今の仕事を始めるまで、ビジネス用語とか全く分からず調べまくってました。
結構歳上の先輩が多いので皆さん優しく教えてくれます。
IT業界って言うと結構難しいイメージを持たれる人が多いですがやってみると意外とできますよ!
お〜!
ぜひ同世代の女性へ発信をお願いします!
仕事をする上で高卒という部分も関係ないですか?
はい!
私自身は実務において関係ないとまでは言わないですが、スキルを身に付けられるかは自分次第なので学歴が邪魔をするなんてことは感じないです。
いいですね〜!
IT業界はまだ高卒などは少ないのが現実ですからもっともっと増えるといいですね!
特に女性はまだ多くはないので入ってきて欲しいです!(笑)
確かに!
まだ7:3くらいの割合ですからね〜。
では最後に今後の抱負とかあれば教えてください!
人生の目標とか!(笑)
目標…
休日にモンハンをしたいのでプレステ4を買いたいです。
だ、だいぶゆるいですね。
キャリアにおいての目標とかはないですか?
そうですね〜。
IT系ってとにかく関連資格がたくさんあるので、今はそれらを取得したいという気持ちがあります!
どちらかというと、一歩一歩を着実にこなしていくタイプなので!
資格!
確かにITは資格がたくさんありますもんね!
実務に直結するものが多いと思うで、たくさん取得して損はないですね!
はい!
あとは自分と同じように未経験の女性が現場に来たら、サポートできるくらい仕事ができるようになりたいです。
私もたくさん助けてもらったので!
さ、さすがです!!
まだ女性が少ない業界なので、そういう人がいたらすごく助かると思います!
これから入ってくる女性のロールモデルになるって素敵ですね!
※ちなみに取材から数日後、人生の目標を達成された模様です。
あ、最後に2人で写真を撮りたいです!
このコーナーのポーズとか決めてやりたい!
早活人材ポーズ
インタビュー企画の記念すべき初回は公務員からITエンジニアへキャリアチェンジをされた野原さんでした!
お話をして思うのが、とにかく明るくて素直!!未経験の分野でも活躍されている理由が少しわかった気がします。
先のことばかり考えるのではなく、目の前のことを着実にこなしていくタイプはまさに川下りキャリアと言えます。
【早活人材もりかわが行く!】では今後も社会で活躍をする早活人材にたくさんインタビューをしていこうと思います。
次回もお楽しみに!
執筆者 @schooltowork | 8月 15, 2019 | ブログ, 非大卒人材
今回は、内装の施工現場と会社の人事の両方の仕事をこなす異色の職業人、鈴木辰弥さんにお話を伺いたいと思います。
木村壮馬(当団体事務局スタッフ、以下省略):
さっそくですが、鈴木さんのキャリアについてお話をお伺いしようと思います。始めに、現在はどういった仕事をされていますか?
鈴木辰弥さん(以下敬称略):
私は株式会社ライフタイムサポートというところで、主に内装の施工などの現場仕事と人事の仕事、この2つを中心にしています。
木村:
現場仕事と、人事の会社内で2つの仕事を行っているのはかなり珍しいと思うのですが、具体的にどういった業務をされているのですか?
鈴木:
現場の仕事は壁や床の特殊コーティングなどの業務をしています。人事の業務としては、新卒の採用に関する業務を行っています。
株式会社ジンジブさんを通して、人事や採用に関する研修を受けています。その他に、今年新卒が3名入ってきたのですが、次の新卒の方たちに引き継げるように、責任者として教えていたりもしています。
木村:
ジンジブさんの人事や採用に関する研修とは、具体的にどのような研修ですか?
鈴木:
高校生へのアプローチの方法や、高校生が何を求めているか、企業のどこを見られているかなどを学んでいます。学校訪問の仕方や、訪問後のアプローチの仕方なども細かく教えて下さるので非常に助かります。
木村:
そうなんですね。ちなみにライフタイムサポートはどういったきっかけで知られたのでしょうか?
鈴木:
ライフタイムサポートを知ったきっかけは、ジョブドラフト(株式会社ジンジブが行っている高校生向け求人媒体)を通じて知りました。自分がやりたい仕事を調べていたらライフタイムサポートが出てきました。
木村:
そうなんですね。色々な方にインタビューをしてきた中で気になっているのですが、東京近辺といいますか、1都3県の高校生は、ハローワークから出される求人票よりも、民間の求人媒体などを使うことが多いのですか?
鈴木:
そうですね、ハローワークの求人を使っている人もいましたが、やはり、インターネット上で見やすく整理された求人情報の方が使い勝手が良かったので、私はジョブドラフトを使用させていただきました。
木村:
ライフタイムサポートを選んだ時は、どういった部分を軸にして選ばれましたか?志望動機を教えてください。
鈴木:
ライフタイムサポートへの入社理由として、面接時に社長との面談があるのですが、その時に、社長と話しているうちにライフタイムサポートなら自分の価値観と合う会社だと感じるようになり、この会社に決めました。
木村:
社長さんと話をして価値観が合うと感じたということですが、何か印象的だったことはありますか?
鈴木:
社長と話をして一番感じたのが、お客様を想う気持ちですね。常に、お客様第一の姿勢で仕事に向かっているのは、話を聞いていてとても印象的でした。あとは、私のことを適切に評価してくれそうだと感じました。
木村:
実際に入ってみてギャップなどはありましたか?
鈴木:
入社前から、インターンに参加するなどをして業務内容のイメージは掴めていて、自分のやりたいこととマッチしていたので特にギャップと感じるところはありませんでした。また、入社してからすぐに部長と二人での行動とかもあったので、仕事の悩みや不安とかもフラットに打ち明けられる環境で、距離感の近い社風でした。私は、非常に伸び伸びと仕事をやらせてもらっています。
木村:
素晴らしい社風ですね。施工と人事の2つの仕事について、どちらの方が楽しいとか、ここにやりがいを感じるというような部分はありますか?
鈴木:
現場は忙しいですが、やりがいもあり非常に楽しいです。採用は、高校生に対してどうしたら魅力に感じてもらえるか、どうやったら自社のことを知ってもらえるかなど常に試行錯誤するのも面白いですね。
木村:
そうなんですね。
続いて、高校時代と今を比べて仕事に対する価値観は変わりましたか?
鈴木:
高校時代は、派遣のアルバイトをしていたのですが、その時に、仕事は自分が遊ぶための労働による対価ぐらいにしか考えていなかったのですが、今はライフタイムサポートで働いて、自分が施工したところを見て喜ぶお客様がいて、そのお客様からお金をいただく。自分の給料になるサイクルが分かりやすく、非常に私の仕事のやりがいになりました。そういった働く際の心境の変化などはありました。
木村:
自分中心から、お客様のために働くという気持ちが強くなったということですね。
鈴木:
そうですね。
木村:
ありがとうございます。では、学生時代の頃のお話をお聞きしたいと思うのですが、学生時代に熱中していたものとかってありますか?
鈴木:
自分の通っていた高校が工業高校だったのですが、文化祭が最初に思いつきます。工業高校はモノづくりの高校なので、自分が作ったものをお客様に見てもらう、体験してもらうというのが楽しかったです。仲間と目標に向かって何か一つのものを作り上げるという体験は非常に刺激的で楽しかったです。
木村:
素晴らしい経験ですね。
高校の進路選択のタイミングで進学などの選択肢もあったかと思いますが、就職を選んだ基準となったものや当時印象に残っていることがあればお聞かせください。
鈴木:
私は、就職希望でした。ですが、3年の初めに高校を辞めたんですよね。そのまま単位を引き継いで通信制の高校に転入しました。その関係もあり、就職活動を始めたのが12月、1月からだったので、残り2、3か月しかなく、その分で進路先の候補がかなり狭まっていました。私は誰かのために働きたい、私の作ったものが誰かに喜ばれるものしたいと思う部分があったので、何社かの選考を受けて、現在のライフタイムサポートに入社しました。
木村:
かなりぎりぎりで就職活動を行っていたんですね。今後、働いていく上で一番大切にしたいものとかはありますか?
鈴木:
現場に入って、お客様の注文に対して施工をしていくのですが、お客様のニーズでしたり、完成後の満足感など、そういった仕事の一番基礎のところを大事にしたいと思っています。
木村:
まさに職人と言いますか、お話の節々でお客様第一の姿勢が鈴木さんから伝わってきますね。いろいろお話を聞かせていただきましたが、ご自身の今後のキャリアプランなどで考えていることはありますか?
鈴木:
イメージしていることは、まず、早く一人でお客様の対応をできるようにして、一人で売上を立てられるようにしたいということです。先輩や上司の方は、お客様の対応などは一人で行っていたりしますので、私も早く任されたいと考えいています。
木村:
そうなんですね。先ほどの質問と重なる部分はあるかと思いますが、将来のビジョンや10年後の将来像などがあれば教えていただけますか?
鈴木:
将来のビジョンとしては、独立して社長になりたいと考えています。私自身仕事を通して、お客様の役に立ちたいというのと、自分が集めた仲間と苦楽を共に過ごして、作り上げたいというのがあるので、施工の現場で活躍できるようになったら独立することを考えています。施工以外でも興味のある分野であれば起業をしたいと考えています。
木村:
10年後が非常に楽しみですね。ライフタイムサポートを通して、自分が一番成長したところはどこに感じていますか?
鈴木:
考え方が大きく変わりました。学生時代のアルバイトをしていた時は終わりの時間が来るまでどうやって仕事をうまくサボろうかと考えていて、時間になったらすぐ帰ることを考えていましたが、今は、お客様を中心に業務を組み立てて、会社の中でも、どうやったら効率的にできるのかを考えるようになりました。なので時間軸から成果や、こなす業務量に軸を置くようになりました。
木村:
アルバイトとかは結構どうやったらサボれるとか、つい考えてしまいますよね(笑)。最後に、高校生たちに対して進路選択や就職活動についてご自身が感じられたことなどメッセージがあればお願いします。
鈴木:
私は高校生の時、派遣の仕事やアルバイトが続かなかったり、逃げてしまうことがありました。自分の意見が言いづらい環境だったり、人間関係が上手くいかないことがあると、働いていても辛いことが多いので、一つ言えることとすれば、会社見学の際にその会社の社風や社長の目指すビジョン、価値観などをしっかりと理解することが非常に大事だと思います。
自分を認めてくれる環境があると、伸び伸びと仕事が出来るので、そうすることで成長スピードも変わってくるので、そこは一番大事にしたほうがいいかと思います。
木村:
お話の中で非常に会社への愛や現在の仕事が充実しているところが多く伺えて、とても素晴らしいと感じました。本日はありがとうございました。
執筆者 @schooltowork | 7月 12, 2019 | ブログ, 非大卒人材
今回は、高校卒業後IT人材の派遣会社に就職し、その後お笑い芸人として活動を行い、現在は株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍されている森川剛さんにお話を伺いたいと思います。
前回 営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
木村:
バイトでキャリアカウンセラーってあまり聞いたことないですよね。だいぶ若い時だと思いますが、当時はいかがでしたか?
森川:
当時は21歳だったのでカウンセリングに来る人はほとんど年上でした。しかも、私自身がまともに就活をしたことが無かったので、最初は何を話していいか分からなかったです。
そこで1年くらい現場でもまれながら、キャリアカウンセリングを続けて正社員になりました。芸人の方は全く芽が出ずに賞レースに出ても1回戦、2回戦落ちというのがずっと続いているような状況でした。
そういう経緯もあり、私はキャリアについて考えるようにもなり、UZUZで正社員になりました。ですが、私もまだ、芸人は辞めたくなかったので「芸人 ✕ キャリアカウンセラー」で行こうと考えました。
面白い芸人は沢山いるけれど、芸人をやりながら、就活やキャリアについてアドバイスできる人はなかなかいないと思い、両立させることにしました。
私は人生の中で大事な軸が3つあると思っていて、1つ目は最初に物事を始めたファーストワン、2つ目はその世界、業界での1番、つまりはナンバーワン、そして3番目のオンリーワンですね。
常にオリジナルであること。それで、私はこの3つ目のオンリーワン軸で勝つしか生き残る道はないと考えていたんですね。この先ずっとM-1などの賞レースを出続けても多分、決勝には行けないと思ったんですよね。
だから、私はその1年間はネタはやらずに就活アドバイザー芸人として活動をしていこうと考えたんですよね。キャリアカウンセリングも、ただ単にバイトとしてお金を稼ぐ手段ではなくなり、どちらも仕事として本気で取り組めるようになりました。なので、キャリアカウンセリングの部分も正社員として活動するようになりました。
木村:
オンリーワンを目指して、掛けるの発想をするのはすごいですね。パラレルキャリアとかそういった考えに近いですよね。
森川:
はい。その時ちょうどパラレルキャリアや副業が世間で騒がれていたので、タイミング的にはちょうどよかったです。なので、ラジオや雑誌などから取材が来て、その時は仕事がかなり増えました。正直ノーマル芸人のままだったら辞めていましたね。
ただ、読みが甘くてそれでも売れなかった理由が、記者の方から就活に関するネタはあるのですか?と聞かれたときに用意をしていないし、一人だとそもそも何もできないというのがあったので、結果的には売れませんでした。
木村:
非常に面白いキャリアを歩まれていますね。ずっと話を聞いていて感じたことが、高校の就活の時から、かなり周りとは違ったキャリアを歩まれていると感じたのですが、ご自身でキャリアを振り返られていかがですか?
森川:
難しいですね。私は後先考えずに行動するタイプなので、就活アドバイザー芸人をやっていた時はライブがあったので、仕事を休ませてもらうことも多かったです。
でも、周りに認めてもらえるように必死にやりました。だから、UZUZで最初の年は絶対営業で1位になると決めて1位になりましたし、休むけど頑張るみたいな、結構ずる賢く頑張った部分も多かったですね。
あと実は、私の周り結構高卒、中卒が多いんですけど、やっぱりその進路って土方だったり、現場仕事が多いんですよね。私はそういう仕事には就きたくないっていうのがあって。
なぜかと言うと、高校生の時バイトで福島の復興支援で大型商業施設の建設現場に行ったんですよ。その時の業務が体力的にものすごくきつくて、その時にこれは10年後、20年後は、続けられないなっていうのが自分の中にあったんですよね。
常に自分のタイミングで興味があることをやったら今のキャリアになりました。UZUZ入ってからも一緒です。最近だと、広報をやりたいと手を上げて、今は同期の広報を手伝っています。
また、地方創生のPR動画なんかもYouTubeにアップしたりと、いろいろな活動をしていて、私の中で高卒だからできないみたいな概念は無く、あったら壊したいっていうのがあるんですよね。
「学歴が無いからこの仕事はできない」みたいなのはつまんないので、基本何でもやります。
木村:
ありがとうございます。すごい行動力と積極性ですね。最後に森川さんの今後の理想の社会人像やビジョンなどはありますか?
森川:
私は、やりたいことをやれている状態が理想の社会人像だと思います。光ファイバーの営業をしていた時もお金に価値観が寄っている人とかも見て、私は自分の好きなことを鉄人のようにやり続けるというのがありますね。
ビジョンとしては、UZUZの中で、非大卒の領域や既卒、第2新卒の領域のキャリア感を変えていきたいですね。私がこの仕事をしていて一番感じるのが「親ブロック」が多いということなんですよね。
現代のキャリア感が変わりつつある中、親が、前時代的なキャリア感を子供に押し付け、就職させようとする。これが結構問題だと感じています。そこを会社や個人は関係なく、テーマとしてやっていきたいですね。
木村:
親のキャリア形成に対するリテラシーを上げるということでしょうか?
森川:
そうですね、親が悪いとは言いませんが、明らかに選択肢を狭めている人たちが多いので、それを変えていきたいです。やはり、今一番ひどいのは高校生の領域だと私は感じています。
自分が身をもって経験しましたので。高校生の可能性を広げていきたいです。辞めた後の道に何があるのかを私と同じで、親と子供は知らないんですよね、だからもっと自由なキャリア形成をできるような社会にしていきたいです。
木村:
ありがとうございます。ご自分の体験を生かしキャリアカウンセラーとして活躍されているお話で非常に面白かったです。本日はありがとうございました!
森川剛さんインタビュー記事一覧
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編
執筆者 @schooltowork | 7月 5, 2019 | ブログ, 非大卒人材
今回は、高校卒業後IT人材の派遣会社に就職し、その後お笑い芸人として活動を行い、現在は株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍されている森川剛さんにお話を伺いたいと思います。
前回 営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
木村:
仕事を辞めようと決めて、2日後に辞める。すごいスピード感ですね。同じ部署の人が3人とかの小規模の会社だと、それなりに人間関係も近いと思うのですが止められたりしなかったのですか?
森川:
エンジニアの派遣といっても、1年間しか働いていなかったので、正直に言えば雑務がほとんどでしたね。あとは社長も基本的に外出しているのであまり会う機会もなかったですね。
でも、辞めるときに退職届も出さずに口答で辞めますと言ったときは、さすがに怒られましたね(笑)。引き留めもかなりありましたね。
今振り返ると、前の会社で仕事のモチベーションを見つけられなかったというのは、本当に申し訳ないと思ってます。
木村:
その後はどんな経緯でお笑い芸人になったんですか?
森川:
お笑い芸人を一人でやるのは厳しいと考えていたので、知り合いを探していたら友達に大学生がいて、その友達と一緒にネタを作ってソニーミュージックに応募しました。
そこで、ネタみせをやって認められてすぐに所属しました。最初は吉本とかも考えたんですけど、吉本って養成所があるじゃないですか、あそこってお金がかかるんですよ。
さらに吉本と契約を結ぶには、養成所で上位の成績を収めないと契約ができないという、かなりシビアな世界なので、養成所のある事務所は辞めました。
ですが、友達の相方がオーディションのネタみせ3日前くらいに芸人を辞めると突然言いまして、なので、一人でオーディションに行きました。
でも、そこで一応実力というか、若干情けもあったのか分からないですか、仮所属という形で合格しました。
木村:
すごいですね。応募の倍率とかって結構高かったんですか?
森川:
芸人だと、そんなに高くなかったらしいですね。やはり、お笑いとかだと吉本とか、ナベプロとか、人力車とかが人気らしいです。でも事務所には200人近くいたと思いますよ。
オーディションも元々2人でネタをやる予定なのに、直前になって断られたのでネタみせはせず、ひたすらしゃべっていました(笑)。
木村:
直前で断られて、それでも一人で行くのはすごいですね。あまり、芸人の方の働き方がイメージできないのですが、芸人としての仕事ってどんな感じなんですか?
森川:
そうですね、ライブで多い時は月20本ぐらいありましたね。でも、ライブは自分たちがお金を払って開催するということがほとんどでしたね。新宿、池袋が中心で活動してました。
木村:
月20本はすごいですね。ほぼ毎日ネタをやってる感じですか?
森川:
そうですね、やっぱり売れていない芸人が最初に目指すところはM-1などの賞レースなので、毎日やっていました。でも、当たり前ですけどこれだけじゃ生活できないのでみんなバイトとかをするんですよね。
私は普通のバイトはしたくないと考えていて、前職で営業もやっていたので営業をやろうと思いました。業務内容はよくある光ファイバーの営業なんですけど、かなり楽しかったんですよね。
今思えば18歳でBtoBの営業できたのは、かなり貴重な体験だったと思います。ですが、BtoCも非常に面白かったんですよね。自分が契約を結んで、その場で売上が立つというのは非常にやりがいがありました。
前職の営業は売上の流れとかを全く分かっていなかったので、BtoCの営業は自分の成果が分かりやすかった分、かなり熱中しましたね。でも、お金が無かったので芸人の仕事より、営業の仕事ばかりを頑張ってしまったんですよね。
そしたら、全社で1位になったこともありました。そこでは1年半くらい仕事していて、現場責任者ぐらいまで上がっていきましたね。あと今より給料が良かったです(笑)。
でも、お金を持ったら芸人の活動を全然頑張らなくなり、飲み歩きばっかりしていましたね。そんな時になぜ、自分は東京に来たんだろうと考えなおすようになって、その時にもう一度芸人で頑張るというのを決めたんですよ。
そしたらその時に、光ファイバーの営業で無理やり売っていた部分がありまして、かなり大きなクレームを受けてしまったんですよ。
この機会だし、責任を感じたので辞めます、みたいな言い方をすれば辞められるかなと思って辞めることを伝えたんです。そしたら、役員の人から、お前は辞めさせないと言われて、今日からお前の給料は5万だと言われました。
その瞬間にこの会社はおかしいということに気づいたんですよね。今までは売上も上げていたのでちやほやされていたのですが、急に監視の目が厳しくなり、給料もまともに出さないってなったので、私はその会社から逃げました。
当時は家まで追いかけられましたが、しっかり手続き取って辞めることができました。
木村:
ブラック企業だったんですかね(笑)。その後はどうされたんですか?
森川:
今、思えばかなりブラックだったと思います。私は数字も上げていたので、そんなに待遇も悪くなかったですが、少し宗教じみた感じもありましたね。
辞めた後は、別に芸人で売れているわけではないので、次の仕事を探していたのですが、たまたま光ファイバーの営業会社で仲良かった先輩がUZUZで働いたんですよ。うちの事業にUZUZカレッジというのがあるんですけど、それが光ファイバーの営業研修でして、そこにバイトで講師として行きました。
3ヶ月くらいは普通にテレアポをしていましたね。優しい人も多く環境が良かったのでつらくはなかったです。ですが、その事業がなかなかうまくいかなくて、赤字が続いて、実はその事業すぐつぶしてしまうんですよ。
私はその時はまた、バイトが無くなったと思っていたのですが、UZUZの今の社長の岡本に辞める必要はない、ここでキャリアカウンセラーとして働いてみないか?と言ってもらいました。私は、まだ芸人を続けたいという気持ちもあるので、バイトとして働かせてくださいということで働きました。
森川剛さんインタビュー記事一覧
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編
執筆者 @schooltowork | 7月 3, 2019 | ブログ, 非大卒人材
今回は、高校卒業後IT人材の派遣会社に就職し、その後お笑い芸人として活動を行い、現在は株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍されている森川剛さんにお話を伺いたいと思います。
木村:
よろしくお願いします。森川さんのキャリアについて早速お伺いしたいのですが、まず、最初に高校の時の進路選択の時と初職について印象に残っていることなどを教えてください。
森川:
私の初職はIT人材の派遣会社で、配属された営業の部署は私を含めて3人しかいない小さな会社に就職しました。
私は高校生の就活は闇だらけだと思っています(笑)。ほとんどの求人が製造や飲食などで、希望する企業は1、2社しか出せない。そして、面接を受ける企業は基本的に内定辞退はNGで、必ずその会社に就職しないといけないみたいなところがあるじゃないですか。私はそれがすごい嫌だなと思っていました。
なぜなら、私は学年で成績が下から2番目とかだったので、先生から紹介される求人もいいのが全然無かったんですよ。製造とか、自動販売機のジュースを集める仕事とか、全く興味のない仕事ばかりだったんですよね。なので、学校の求人は受けませんでした。
皆さんが使っているような普通の民間の求人媒体を使って探しました。そしたら、先ほどの会社が見つかって就職が決まりました。仕事内容としては、IT人材を派遣する事業の営業マンとして働いていました。
木村:
そうなんですね、私も高卒なので似たような就職活動だと思うのですが、企業の探し方として、周りに民間の媒体を使って就職する人はほとんどいなかったのですが、千葉とかいわゆる一都三県とかの人たちは、民間の媒体を使う人が多いのですか?
森川:
私の学校は就職する人が少なかったので何とも言えないのですが、でも使っている人は少数ですがいたような気がします。
私の学校もみんな進路相談室にある、求人票から選んでいましたね。でも私は漠然と営業の仕事がやりたかったのでその道を選びました。
理系とかではなかったし、頭も良くなかったのですがスーツを着て仕事がしたいと思っていました。それで学校で営業の求人を探したのですが、無かったのでネットで自分で検索して応募しました。
小さい会社だったので社長が面接をしてくれました。33歳くらいの若い社長で同じ千葉の出身ということでかなり話が盛り上がって、面接に来てくれただけで嬉しいというくらい会社側も採用に困っていたので受かりました。
木村:
そうだったんですね、では、周りの高校生とは違った就活を行っていたんですかね?
森川:
そうですね、私の就職が決まったのが2月だったんですよ。なので、ずっと先生からはお前あと一ヶ月で卒業なのにどうするんだ、みたいなことをずっと言われ続けてましたね(笑)。
木村:
2月は相当遅いですね、普通の高校生とかって夏に企業見学が終わって、9月、10月にはみんな会社が決まるんですけど、その期間はどうされていたんですか?
森川:
私は一切やっていなかったですね。みんなが面接練習とかやっていても、当時は何もしていなかったです。それくらい危機感無く何も考えていなかったですね。
でも、その時から実は芸人の道は考えていました。でもさすがに、芸人だけで食べていけるっていうほど甘くは考えていなかったので、芸人として失敗したら私の人生終わりですからね。
頭も良くなくて、仕事もあまりしたことなくてみたいな大人になったらと思うとその時は怖くて芸人の道は選べなかったですね。
木村:
IT人材の派遣の営業の仕事はどんな仕事内容だったんですか?
森川:
職務内容自体はSESの営業をやっていて、IT人材をプロジェクトや業務にアサインさせていくのが仕事ですね。なので、本当に派遣会社のIT人材版みたいな感じです。
木村:
高卒ではかなり珍しい職種についたんですね。ちなみに入社当初の印象とかってありますか?
森川:
そうですね、小規模なので研修とかがなく、ひたすらOJTで仕事をしていくという感じだったんですけど、入社してからは本当に何も分からなかったです。
とりあえず日報を出せと言われても、業務進捗の「進捗」という文字すら読めない、パソコンの使い方も分からない。そんな状況から始まりましたね。
最初は仕事が出来なさ過ぎてあきれられていましたね。しかも、そのくせに必ず定時で帰るので(笑)。仕事できないくせに相当生意気な感じでしたね。
当時を振り返るとその時は相当マインドが低くて、営業でアポイントが取れたら一人で行っていいよと言われたので、それを口実に外出したら時々さぼっていたりとかもしましたね。
なので、仕事に対して、モチベーションも全くなく、スーツ着て仕事ができれば良いぐらいしか考えていなかったですね。
木村:
そうなんですね、話が若干戻るのですが、進路を選ぶときに他の道を選ぼうとは思わなかったのですか?また、他にどんな企業に興味を持っていましたか?
森川:
別にITだからどうこうではなくて、ただ営業がやりたかったので、そこの会社に志望しました。
木村:
待遇とかは考慮しましたか?
森川:
いや、一切見ていないですね。でも、東京で仕事がしたいという気持ちが強かったのと、高卒で手取りで20万円弱もらえていたので不満もなかったですね。
東京ってお笑いの劇場がたくさんあるんですけど、たまたま仕事をさぼっていた時に新宿の劇場に入ったんですよね。
そこでお笑いライブがやっていてたので見てたら、結構面白かったんですよね、芸人の方たちってお金は持っていないけど、すごい目がキラキラしているんですよね。
そこで私は感化されて、芸人の方を見ていると自分のやりたいことをやっているのに、俺は何をしているんだと感じました。
自分のことを振り返れば、惰性で働いて、ごまかしながらやって仕事をしていたので、それを10年後、20年後も同じなのかと考えた時に嫌だと思ったんですよね。だったら、仕事は辞めようと思って、2日後に辞めました。
森川剛さんインタビュー記事一覧
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編