営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編

今回は、高校卒業後IT人材の派遣会社に就職し、その後お笑い芸人として活動を行い、現在は株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍されている森川剛さんにお話を伺いたいと思います。

前回 営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編

木村
バイトでキャリアカウンセラーってあまり聞いたことないですよね。だいぶ若い時だと思いますが、当時はいかがでしたか?
 
森川
当時は21歳だったのでカウンセリングに来る人はほとんど年上でした。しかも、私自身がまともに就活をしたことが無かったので、最初は何を話していいか分からなかったです。

そこで1年くらい現場でもまれながら、キャリアカウンセリングを続けて正社員になりました。芸人の方は全く芽が出ずに賞レースに出ても1回戦、2回戦落ちというのがずっと続いているような状況でした。

そういう経緯もあり、私はキャリアについて考えるようにもなり、UZUZで正社員になりました。ですが、私もまだ、芸人は辞めたくなかったので「芸人 ✕ キャリアカウンセラー」で行こうと考えました。

面白い芸人は沢山いるけれど、芸人をやりながら、就活やキャリアについてアドバイスできる人はなかなかいないと思い、両立させることにしました。

私は人生の中で大事な軸が3つあると思っていて、1つ目は最初に物事を始めたファーストワン、2つ目はその世界、業界での1番、つまりはナンバーワン、そして3番目のオンリーワンですね。

常にオリジナルであること。それで、私はこの3つ目のオンリーワン軸で勝つしか生き残る道はないと考えていたんですね。この先ずっとM-1などの賞レースを出続けても多分、決勝には行けないと思ったんですよね。

だから、私はその1年間はネタはやらずに就活アドバイザー芸人として活動をしていこうと考えたんですよね。キャリアカウンセリングも、ただ単にバイトとしてお金を稼ぐ手段ではなくなり、どちらも仕事として本気で取り組めるようになりました。なので、キャリアカウンセリングの部分も正社員として活動するようになりました。
 
木村
オンリーワンを目指して、掛けるの発想をするのはすごいですね。パラレルキャリアとかそういった考えに近いですよね。
 
森川
はい。その時ちょうどパラレルキャリアや副業が世間で騒がれていたので、タイミング的にはちょうどよかったです。なので、ラジオや雑誌などから取材が来て、その時は仕事がかなり増えました。正直ノーマル芸人のままだったら辞めていましたね。

ただ、読みが甘くてそれでも売れなかった理由が、記者の方から就活に関するネタはあるのですか?と聞かれたときに用意をしていないし、一人だとそもそも何もできないというのがあったので、結果的には売れませんでした。
 
木村
非常に面白いキャリアを歩まれていますね。ずっと話を聞いていて感じたことが、高校の就活の時から、かなり周りとは違ったキャリアを歩まれていると感じたのですが、ご自身でキャリアを振り返られていかがですか?
 
森川
難しいですね。私は後先考えずに行動するタイプなので、就活アドバイザー芸人をやっていた時はライブがあったので、仕事を休ませてもらうことも多かったです。

でも、周りに認めてもらえるように必死にやりました。だから、UZUZで最初の年は絶対営業で1位になると決めて1位になりましたし、休むけど頑張るみたいな、結構ずる賢く頑張った部分も多かったですね。

あと実は、私の周り結構高卒、中卒が多いんですけど、やっぱりその進路って土方だったり、現場仕事が多いんですよね。私はそういう仕事には就きたくないっていうのがあって。

なぜかと言うと、高校生の時バイトで福島の復興支援で大型商業施設の建設現場に行ったんですよ。その時の業務が体力的にものすごくきつくて、その時にこれは10年後、20年後は、続けられないなっていうのが自分の中にあったんですよね。

常に自分のタイミングで興味があることをやったら今のキャリアになりました。UZUZ入ってからも一緒です。最近だと、広報をやりたいと手を上げて、今は同期の広報を手伝っています。

また、地方創生のPR動画なんかもYouTubeにアップしたりと、いろいろな活動をしていて、私の中で高卒だからできないみたいな概念は無く、あったら壊したいっていうのがあるんですよね。

「学歴が無いからこの仕事はできない」みたいなのはつまんないので、基本何でもやります。
 
木村
ありがとうございます。すごい行動力と積極性ですね。最後に森川さんの今後の理想の社会人像やビジョンなどはありますか?
 
森川
私は、やりたいことをやれている状態が理想の社会人像だと思います。光ファイバーの営業をしていた時もお金に価値観が寄っている人とかも見て、私は自分の好きなことを鉄人のようにやり続けるというのがありますね。

ビジョンとしては、UZUZの中で、非大卒の領域や既卒、第2新卒の領域のキャリア感を変えていきたいですね。私がこの仕事をしていて一番感じるのが「親ブロック」が多いということなんですよね。

現代のキャリア感が変わりつつある中、親が、前時代的なキャリア感を子供に押し付け、就職させようとする。これが結構問題だと感じています。そこを会社や個人は関係なく、テーマとしてやっていきたいですね。
 
木村
親のキャリア形成に対するリテラシーを上げるということでしょうか?
 
森川
そうですね、親が悪いとは言いませんが、明らかに選択肢を狭めている人たちが多いので、それを変えていきたいです。やはり、今一番ひどいのは高校生の領域だと私は感じています。

自分が身をもって経験しましたので。高校生の可能性を広げていきたいです。辞めた後の道に何があるのかを私と同じで、親と子供は知らないんですよね、だからもっと自由なキャリア形成をできるような社会にしていきたいです。
 
木村
ありがとうございます。ご自分の体験を生かしキャリアカウンセラーとして活躍されているお話で非常に面白かったです。本日はありがとうございました!

 

森川剛さんインタビュー記事一覧

営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編

営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編

今回は、高校卒業後IT人材の派遣会社に就職し、その後お笑い芸人として活動を行い、現在は株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍されている森川剛さんにお話を伺いたいと思います。

前回 営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編

木村
仕事を辞めようと決めて、2日後に辞める。すごいスピード感ですね。同じ部署の人が3人とかの小規模の会社だと、それなりに人間関係も近いと思うのですが止められたりしなかったのですか?
 
森川
エンジニアの派遣といっても、1年間しか働いていなかったので、正直に言えば雑務がほとんどでしたね。あとは社長も基本的に外出しているのであまり会う機会もなかったですね。

でも、辞めるときに退職届も出さずに口答で辞めますと言ったときは、さすがに怒られましたね(笑)。引き留めもかなりありましたね。

今振り返ると、前の会社で仕事のモチベーションを見つけられなかったというのは、本当に申し訳ないと思ってます。
 
木村
その後はどんな経緯でお笑い芸人になったんですか?
 
森川
お笑い芸人を一人でやるのは厳しいと考えていたので、知り合いを探していたら友達に大学生がいて、その友達と一緒にネタを作ってソニーミュージックに応募しました。

そこで、ネタみせをやって認められてすぐに所属しました。最初は吉本とかも考えたんですけど、吉本って養成所があるじゃないですか、あそこってお金がかかるんですよ。

さらに吉本と契約を結ぶには、養成所で上位の成績を収めないと契約ができないという、かなりシビアな世界なので、養成所のある事務所は辞めました。

ですが、友達の相方がオーディションのネタみせ3日前くらいに芸人を辞めると突然言いまして、なので、一人でオーディションに行きました。

でも、そこで一応実力というか、若干情けもあったのか分からないですか、仮所属という形で合格しました。
 
木村
すごいですね。応募の倍率とかって結構高かったんですか?
 
森川
芸人だと、そんなに高くなかったらしいですね。やはり、お笑いとかだと吉本とか、ナベプロとか、人力車とかが人気らしいです。でも事務所には200人近くいたと思いますよ。

オーディションも元々2人でネタをやる予定なのに、直前になって断られたのでネタみせはせず、ひたすらしゃべっていました(笑)。
 
木村
直前で断られて、それでも一人で行くのはすごいですね。あまり、芸人の方の働き方がイメージできないのですが、芸人としての仕事ってどんな感じなんですか?
 
森川
そうですね、ライブで多い時は月20本ぐらいありましたね。でも、ライブは自分たちがお金を払って開催するということがほとんどでしたね。新宿、池袋が中心で活動してました。
 
木村
月20本はすごいですね。ほぼ毎日ネタをやってる感じですか?
 
森川
そうですね、やっぱり売れていない芸人が最初に目指すところはM-1などの賞レースなので、毎日やっていました。でも、当たり前ですけどこれだけじゃ生活できないのでみんなバイトとかをするんですよね。

私は普通のバイトはしたくないと考えていて、前職で営業もやっていたので営業をやろうと思いました。業務内容はよくある光ファイバーの営業なんですけど、かなり楽しかったんですよね。

今思えば18歳でBtoBの営業できたのは、かなり貴重な体験だったと思います。ですが、BtoCも非常に面白かったんですよね。自分が契約を結んで、その場で売上が立つというのは非常にやりがいがありました。

前職の営業は売上の流れとかを全く分かっていなかったので、BtoCの営業は自分の成果が分かりやすかった分、かなり熱中しましたね。でも、お金が無かったので芸人の仕事より、営業の仕事ばかりを頑張ってしまったんですよね。

そしたら、全社で1位になったこともありました。そこでは1年半くらい仕事していて、現場責任者ぐらいまで上がっていきましたね。あと今より給料が良かったです(笑)。

でも、お金を持ったら芸人の活動を全然頑張らなくなり、飲み歩きばっかりしていましたね。そんな時になぜ、自分は東京に来たんだろうと考えなおすようになって、その時にもう一度芸人で頑張るというのを決めたんですよ。

そしたらその時に、光ファイバーの営業で無理やり売っていた部分がありまして、かなり大きなクレームを受けてしまったんですよ。

この機会だし、責任を感じたので辞めます、みたいな言い方をすれば辞められるかなと思って辞めることを伝えたんです。そしたら、役員の人から、お前は辞めさせないと言われて、今日からお前の給料は5万だと言われました。

その瞬間にこの会社はおかしいということに気づいたんですよね。今までは売上も上げていたのでちやほやされていたのですが、急に監視の目が厳しくなり、給料もまともに出さないってなったので、私はその会社から逃げました。

当時は家まで追いかけられましたが、しっかり手続き取って辞めることができました。
 
木村
ブラック企業だったんですかね(笑)。その後はどうされたんですか?
 
森川
今、思えばかなりブラックだったと思います。私は数字も上げていたので、そんなに待遇も悪くなかったですが、少し宗教じみた感じもありましたね。

辞めた後は、別に芸人で売れているわけではないので、次の仕事を探していたのですが、たまたま光ファイバーの営業会社で仲良かった先輩がUZUZで働いたんですよ。うちの事業にUZUZカレッジというのがあるんですけど、それが光ファイバーの営業研修でして、そこにバイトで講師として行きました。

3ヶ月くらいは普通にテレアポをしていましたね。優しい人も多く環境が良かったのでつらくはなかったです。ですが、その事業がなかなかうまくいかなくて、赤字が続いて、実はその事業すぐつぶしてしまうんですよ。

私はその時はまた、バイトが無くなったと思っていたのですが、UZUZの今の社長の岡本に辞める必要はない、ここでキャリアカウンセラーとして働いてみないか?と言ってもらいました。私は、まだ芸人を続けたいという気持ちもあるので、バイトとして働かせてくださいということで働きました。

 

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営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編

営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編

今回は、高校卒業後IT人材の派遣会社に就職し、その後お笑い芸人として活動を行い、現在は株式会社UZUZでキャリアカウンセラーとして活躍されている森川剛さんにお話を伺いたいと思います。


 
木村
よろしくお願いします。森川さんのキャリアについて早速お伺いしたいのですが、まず、最初に高校の時の進路選択の時と初職について印象に残っていることなどを教えてください。
 
森川
私の初職はIT人材の派遣会社で、配属された営業の部署は私を含めて3人しかいない小さな会社に就職しました。

私は高校生の就活は闇だらけだと思っています(笑)。ほとんどの求人が製造や飲食などで、希望する企業は1、2社しか出せない。そして、面接を受ける企業は基本的に内定辞退はNGで、必ずその会社に就職しないといけないみたいなところがあるじゃないですか。私はそれがすごい嫌だなと思っていました。

なぜなら、私は学年で成績が下から2番目とかだったので、先生から紹介される求人もいいのが全然無かったんですよ。製造とか、自動販売機のジュースを集める仕事とか、全く興味のない仕事ばかりだったんですよね。なので、学校の求人は受けませんでした。

皆さんが使っているような普通の民間の求人媒体を使って探しました。そしたら、先ほどの会社が見つかって就職が決まりました。仕事内容としては、IT人材を派遣する事業の営業マンとして働いていました。
 
木村
そうなんですね、私も高卒なので似たような就職活動だと思うのですが、企業の探し方として、周りに民間の媒体を使って就職する人はほとんどいなかったのですが、千葉とかいわゆる一都三県とかの人たちは、民間の媒体を使う人が多いのですか?
 
森川
私の学校は就職する人が少なかったので何とも言えないのですが、でも使っている人は少数ですがいたような気がします。

私の学校もみんな進路相談室にある、求人票から選んでいましたね。でも私は漠然と営業の仕事がやりたかったのでその道を選びました。

理系とかではなかったし、頭も良くなかったのですがスーツを着て仕事がしたいと思っていました。それで学校で営業の求人を探したのですが、無かったのでネットで自分で検索して応募しました。

小さい会社だったので社長が面接をしてくれました。33歳くらいの若い社長で同じ千葉の出身ということでかなり話が盛り上がって、面接に来てくれただけで嬉しいというくらい会社側も採用に困っていたので受かりました。
 
木村
そうだったんですね、では、周りの高校生とは違った就活を行っていたんですかね?
 
森川
そうですね、私の就職が決まったのが2月だったんですよ。なので、ずっと先生からはお前あと一ヶ月で卒業なのにどうするんだ、みたいなことをずっと言われ続けてましたね(笑)。
 
木村
2月は相当遅いですね、普通の高校生とかって夏に企業見学が終わって、9月、10月にはみんな会社が決まるんですけど、その期間はどうされていたんですか?

森川
私は一切やっていなかったですね。みんなが面接練習とかやっていても、当時は何もしていなかったです。それくらい危機感無く何も考えていなかったですね。

でも、その時から実は芸人の道は考えていました。でもさすがに、芸人だけで食べていけるっていうほど甘くは考えていなかったので、芸人として失敗したら私の人生終わりですからね。

頭も良くなくて、仕事もあまりしたことなくてみたいな大人になったらと思うとその時は怖くて芸人の道は選べなかったですね。
 
木村
IT人材の派遣の営業の仕事はどんな仕事内容だったんですか?
 
森川
職務内容自体はSESの営業をやっていて、IT人材をプロジェクトや業務にアサインさせていくのが仕事ですね。なので、本当に派遣会社のIT人材版みたいな感じです。
 
木村
高卒ではかなり珍しい職種についたんですね。ちなみに入社当初の印象とかってありますか?
 
森川
そうですね、小規模なので研修とかがなく、ひたすらOJTで仕事をしていくという感じだったんですけど、入社してからは本当に何も分からなかったです。

とりあえず日報を出せと言われても、業務進捗の「進捗」という文字すら読めない、パソコンの使い方も分からない。そんな状況から始まりましたね。

最初は仕事が出来なさ過ぎてあきれられていましたね。しかも、そのくせに必ず定時で帰るので(笑)。仕事できないくせに相当生意気な感じでしたね。

当時を振り返るとその時は相当マインドが低くて、営業でアポイントが取れたら一人で行っていいよと言われたので、それを口実に外出したら時々さぼっていたりとかもしましたね。

なので、仕事に対して、モチベーションも全くなく、スーツ着て仕事ができれば良いぐらいしか考えていなかったですね。
 
木村
そうなんですね、話が若干戻るのですが、進路を選ぶときに他の道を選ぼうとは思わなかったのですか?また、他にどんな企業に興味を持っていましたか?
 
森川
別にITだからどうこうではなくて、ただ営業がやりたかったので、そこの会社に志望しました。
 
木村
待遇とかは考慮しましたか?
 
森川
いや、一切見ていないですね。でも、東京で仕事がしたいという気持ちが強かったのと、高卒で手取りで20万円弱もらえていたので不満もなかったですね。

東京ってお笑いの劇場がたくさんあるんですけど、たまたま仕事をさぼっていた時に新宿の劇場に入ったんですよね。

そこでお笑いライブがやっていてたので見てたら、結構面白かったんですよね、芸人の方たちってお金は持っていないけど、すごい目がキラキラしているんですよね。

そこで私は感化されて、芸人の方を見ていると自分のやりたいことをやっているのに、俺は何をしているんだと感じました。

自分のことを振り返れば、惰性で働いて、ごまかしながらやって仕事をしていたので、それを10年後、20年後も同じなのかと考えた時に嫌だと思ったんですよね。だったら、仕事は辞めようと思って、2日後に辞めました。

 

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営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 前編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 中編
営業、芸人の経験を活かしキャリアカウンセラーへ 後編

「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した③

富山県の製造大企業の工場勤務から社会人生活をスタートした竹田将宏さん。働く中で積もる「違和感」を振り払うために、一歩を踏み出し、現在は東京のITベンチャーで活躍しています。一歩を踏み出す前、そして踏み出した結果。お話からどんなことが見えてくるのでしょうか。今回は、そんな竹田さんのキャリアストーリーを聞いていきたいと思います。

前回 「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した②

「日々のつまらなさ」を変えたい思いで一歩踏み出す

古屋
竹田さんはハッシャダイでインターンをされていますね。こちらはどういったきっかけで参加しましたか?

竹田
ハッシャダイに参加したきっかけはシンプルでした。まず前職で初めて社会というものを知りました。その中で自分の価値、特に報酬の低さ、周りの人との考え方の違い、こうした違和感からくる「日々のつまらなさ」。

これを変えたいと思っていました。変えるにはまず、自分が成長しなければいけない、視野を広げなければいけない、もっといろいろな社会人の話を聞いてみたいと考えていました。

そんな時にネットサーフィンをしていたら、たまたまハッシャダイのHPを見つけ、このインターンであれば自分の思っていることを実現できるのではないかと思い、ハッシャダイのインターンに参加しました。

もちろん、環境を変えてやったことの無いことを知らない人たちと行っていくリスクはありましたが、どう転んでもいい経験にはなるだろうと思っていたので、参加に迷いはなかったですね。

転職した会社を1週間で辞職、「ただの高卒」として自力で就活

古屋
「どう転んでも」良い言葉ですね。キャリア初期の失敗は、職業生活全体で見たら成功だとも言われています。さて、ようやく現在に近づいてきました。インターンを経験して、今の会社に至るまでについて聞きたいです。

竹田
インターン卒業後、ハッシャダイ経由でサイト制作・リスティング運用の受託会社に就職しました。ただ、なんとその会社を1週間で辞め、普通の高卒として再度就活をすることになりました。

辞めた理由は単純で、その会社が生産性が悪い上に、PDCAも回せていない。だから、長時間働くのが当たり前。そこに美学を感じている宗教の様な集団だったからです。

そこで、次はハッシャダイのサポートもなく就職活動に臨みました。やはり成長を軸に置いた時に、組織形成・事業拡大を自分でやってみたいと思い、ベンチャー企業にひたすら会いに行っていました。

古屋
自力の就活ですね。すごい。

竹田
そんな中で前職のLimeというフィットネス×ITの会社に出会いました。そこは正社員が3名で業務委託含め10人以下の組織でした。創業から間もない会社なのに掲げるビジョンは大きく、裁量もあったので入社させていただくことになりました。

そこでは営業から始まり、店舗運営店→舗責任者→メディア運営→メディア運営責任者→人事など幅広く経験させていただき、最終的には取締役になることができました。

投資に関しての業務も、経理までもやりました。Limeでは組織、事業が大きくなっていくのを経験し、かなり濃い1年間になりました。そして、ちょうど今年の4月に次のステップに進みます。

冒頭でお話しをした「日本をぶち上げる」をビジョンに掲げた、チャットボットによるマーケティング会社ZEALSの社長と繋がり、ジョインさせて頂きました。

挑戦するのも成果を出すのも全ては自分次第

古屋
今のお仕事で大変なことはどんなところでしょう。

竹田
ジョインして少し経ち、今は営業をメインで業務をしてますが、ビジョンがめちゃくちゃ強い会社なので、みんながビジョンを実現するためにがむしゃらに走っています。

その分、現状の生産フローの課題解決や仕組み化ができていないところも多いので、そこの仕組み化も、前職の経験を生かして取り組んでいます。ただ、まだ把握できていないことも多くてまだまだ苦労しています(笑)。

古屋
ありがとうございます。ラグビー部時代、YKK時代、そしてLime時代、すべての経験が今に生きていますね。未来に向けて目標のようなものはありますか。

竹田
自分は、社会に名を残したい、影響を与えることをしたいと思っています。ただ、仕事をこなすだけであったり、誰でも歩めるような人生を歩んだりは絶対にしたくありません。

そう考えた時に現職のビジョンを叶えることが、中長期的な目標になりますね。「日本をぶち上げる」これが実現した世界を感がるとワクワクしますね。

古屋
ありがとうございます。最後に、竹田さんの後輩にあたる高卒人材の方々へのメッセージを一言頂けますでしょうか。

竹田
結局は自分の人生なので、自分が一番責任を持たなければなりません。言い訳するのも逃げるのも、挑戦するのも成果を出すのも全ては自分次第です。

高卒とか大卒とかそんなことでネガティブになる人は言い訳をしているだけです。逆に学歴で満足している人も、たかが知れています。くだらない思考は捨てて、皆さんがそれぞれ思う最高の人生を歩んでいただければと思っています。

古屋
自分の人生。当たり前のことですが、終身雇用が無くなる中、今の若い世代が「自分の人生」を生きる最初の世代になるかもしれませんね。ありがとうございました!

 

竹田将宏さんインタビュー記事一覧

「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した①
「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した②
「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した③

「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した②

富山県の製造大企業の工場勤務から社会人生活をスタートした竹田将宏さん。働く中で積もる「違和感」を振り払うために、一歩を踏み出し、現在は東京のITベンチャーで活躍しています。一歩を踏み出す前、そして踏み出した結果。お話からどんなことが見えてくるのでしょうか。今回は、そんな竹田さんのキャリアストーリーを聞いていきたいと思います。

前回 「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した①

違和感しかない「就職活動」

古屋
「イメージを変えてしまう」とても興味深いです。天井を自ら壊すというか、到達点をしっかり見て、それをモチベーションにしていたのですね。竹田さんはその後、高校を卒業して大手メーカーの工場に就職していますが、就職活動はどんな感じでしたか?

竹田
実は、就職活動は特にしなかったんですよね。部活のみの生活で今後どうしようかは特に考えていませんでした。道としては、大学に行くか、就職するかの二択の中で、就職を選択したのですが、理由は単純でお金を払ってまで4年間も使い勉強したいことがなかったからです。

それなら就職して無難に稼いで生きていければいいかなと。なので少しでもお金が稼げて安定している会社に就職出来ればいいと思い、先生の提示してくれた大手メーカーに就職しました。

なので大学生のような「就職活動」は特にしなかったです。学校にある求職リストから選びました。

古屋
求職リストは紙でした?何枚くらいありましたか?

竹田
紙でしたね。リストは辞書みたいに何百枚もありました。業務内容もざっくりしか記載されていないですし、説明もないのでイメージはつきませんでした。

とりあえず休みと給与とネームバリューで選びました。働いた後から振り返ってみると違和感しかないですよね。

古屋
そうですね(笑)。3年生の7月とかに会社見学はいきましたか?

竹田
会社見学っていうんですかね?数日の職場体験はありました。ただその時は就職した会社ではなく別の会社に体験に行きました。

古屋
どんなことをしました?

竹田
工場のライン作業を基本は見ているだけで、体験ではライン作業の製品の設置などを体験しました。あとは社員の方と話したり、会社説明してもらったりとかですね。その会社の方はかなり良い方々でしたね。

古屋
いい機会ですね。そんな良い方々のいる会社に行かなかったのはなぜでしょうか?

竹田
正直迷いしました。ただ、やはり体験の期間が短すぎて会社への理解の度合いが低かったのです。企業のイメージが無かったので、その時は大企業の方がキラキラして見えたのかもしれません。

あとは、よく知られた会社のほうがいいかもと思いました。大学生みたいにいろいろな会社のインターンがあり、社会を知れて、いろいろな会社が見られれば、また、この時の選択も変わっていたかも知れませんね。経験と情報が圧倒的に足りなかったです。

YKKに就職。今だから気づけた“ある人”の凄さ

古屋
そうなんですね!そんな中、選んだ会社はYKKという誰もが知っている超大企業ですが、なぜその会社だったのでしょう?

竹田
まず前提として他県に行く気がありませんでした。そもそも他県で就職を選択するという選択肢が自分にありませんでした。

そのため富山県で就職するという選択肢の中で、一番大きな企業がYKKだっただけです。理由は単純ですが、本当にそれだけですね。

古屋
そんなYKKでの仕事はいかがでしたか?

竹田
YKKでの仕事は単純でした。さすが大企業だけあって、機械のオペレーションをするだけでした。私はその中で染色課というところに所属していました。

そこでは染料の計測や染める素材の種類や量を、発行される伝表通りに用意し、機械を動かすという仕事です。単純作業なだけあって、どれだけ効率よくできるか、楽に仕事ができるかだけを考えていました。

今思うと時間の意識やタスクの組み立て方はその時に染み付いた気がします。それとその当時疑問だったことがあるんですよね。

古屋
おお、それはなんでしょうか。

竹田
与えられた仕事をこなすだけの人が多い職場の中で、ただ1人だけ主体性と責任感のある人がいました。彼は評価されるわけでも、誰かが見ているわけでもないのになぜ文句も言わずに誰よりも頑張れるのか。

それがその当時は疑問でした。今考えると価値観の違いであったり、リーダーシップが大きな要因な気がしています。私はその当時「自分」というものを軸に捉えていました。

楽しめるか、楽できるか、 評価される全てに「自分」が付いていました。彼は物事を考える時に「自分」を優先していなかったのではないかと思っています。

彼は「組織」というもので捉え、 組織全体の結果や生産性を意識していたのではないかと。だから自分の業務以外でも 積極的に取り組むし、評価されなくても、組織の結果が出ていれば満足していたのかなと。

物事を考える時にどの目線から捉えるか、これってかなり重要だなと思っています。ただの従業員という思考でみる会社の景色と、自分が課長だったら、部長だったら、社長だったらで思考する会社の景色ってまた違うと思うんですよね。

古屋
今、竹田さんがいろいろなお仕事を経験してきたからこその気づきですね。

竹田
そうかもしれませんね。YKKでの仕事は単純な作業と変化のない日々が多かったですが、それって自分の捉え方や考え方次第では、また違ったものになっていたような気もします。

ただあの当時の僕が感じたことは マイナス面が多かったので、かなり未熟だったんだと思います。

古屋
同じことをしていても捉え方によって意味が変わってくる。「ジョブクラフティング」という考え方があります。同じ「掃除の仕事」であっても、単なる清掃作業と捉えるか、もしくはお客様をもてなすためのエンターテインメントと考えるか、それによってスキルや気持ちが全く違ってきます。

今振り返ってそういった気持ちになっていることは素敵だと思います。

竹田
「ジョブクラフティング」ですか。そのような言葉があるのですね。知りませんでした(笑)。

 

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「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した①
「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した②
「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した③

「日々のつまらなさ」・・・変えたい思いで一歩踏み出した①

富山県の製造大企業の工場勤務から社会人生活をスタートした竹田将宏さん。働く中で積もる違和感を振り払うために、一歩を踏み出し、現在は東京のITベンチャーで活躍しています。一歩を踏み出す前、そして踏み出した結果。お話からどんなことが見えてくるのでしょうか。今回は、そんな竹田さんのキャリアストーリーを聞いていきたいと思います。

古屋星斗(一般社団法人スクール・トゥ・ワーク代表理事、以下省略):
今日はよろしくお願いいたします。竹田さんのこれまで、今、これからを伺いたいと思っています。まずは「今」からですが、竹田さんは今どのようなお仕事をされていますか?

竹田将宏さん(以下敬称略):
今年の4月にZEALSという「日本をぶち上げる」をビジョンに掲げた、チャットボットを使ったマーケティングの会社にジョインさせて頂きました。ジョインして今は営業をメインで業務をしていますが、ビジョンベースドな会社なので、みんなが共通のビジョンを実現するためにがむしゃらに走っているところです。

古屋
チャットボットとは、今まさに流行りのテック企業ですね。現在の話は後程もっとお伺いするとして、これまでどのようなキャリアを送ってきたのかを伺いたいと思います。高校時代からお願いします。

「PDCAサイクル」をラグビー部で学ぶ

竹田
高校時代はほとんどの時間を部活動のラグビーに費やしていました。部活のために学校に行っていたようなものなので、授業中は疲れて寝る。夕方から夜にかけてはずっと部活動。そんな生活を繰り返していました。

なので、よくいる部活大好き少年って感じでしたね。高校は富山県にある工業高校でした。私はその高校で機械科にいました。工業高校ということもあり、男子が大半でしたので常に騒いでいる感じでした。部活に力を入れている学校だったので、周りの人も勉強よりも部活という人が多かったです。

古屋
部活大好き高校生だったんですね。竹田さんはラグビー部ではどんな部員でしたか?

竹田
ラグビー部では結構怖い存在だったかもしれません。熱くなるタイプなので先輩後輩関係なく、何でも発言していました。色々と言いすぎて時には顧問から怒られることもありました。

その時の自分はどう伝えるのが最善なのか、相手から最大限の力を引き出すにはどうすれば良いかなど、特に考えられていなかったのかもしれませんね。

古屋
部長などのリーダーのような感じだったんですか?

竹田
どうなんでしょう?今思うとそうかもしれないです(笑)。1年生の時から試合には出場してたので、先輩とか関係なく色々言えたのかもしれません。

古屋
1年生のときからチームを引っ張っていたんですね。そんなラグビー部時代に、一番印象深い出来事はなんですか?

竹田
一番印象に残っているのは1年生の時に行った遠征ですね。ラグビーは未経験で高校から始めたのですが、その遠征で初めて3年生の試合に出ました。ここの試合で色々思うことがあったんですよね。

この遠征はまだ競技を始めて3ヶ月ぐらいの時でした。そのころはルールもまともに知らないので、とりあえず先輩のプレーやプロ選手のプレーをひたすら真似することに徹底していました。

家に帰ると必ずラグビーの試合を見ていましたね。完全にラグビー一色の生活です。そこでイメージしたプレーをひたすら実践し、反省し、実践し・・・これを繰り返していました。もちろん基礎も教えてもらいながらです。

その当時は全くPDCAなど言葉も知りませんでしたが、今思うとこのやり方自体は、ビジネスにも生かせるような理にかなった練習をしていたなと思っています。だからなのか、周りよりも早く伸びたようでした。

古屋
部活でPDCAサイクルを回していたんですね。

竹田
恰好よく言えばですが(笑)。遠征の話に戻りますが、その甲斐あってかは分かりませんが、顧問の先生が競技を始めて3ヶ月の僕を3年生の試合に出してくれたのかなと思います。

ただ、試合では全然プレーの流れや自分が何をすべきかが分からなくついていけませんでした。この試合は自分のイメージしていた試合より、はるかに上回ったものだったということです。

大抵のことはイメージできれば実現させることができます。自分が、この遠征で全くついていけなかったことで、早いタイミングで自分の中のイメージを変えることができたのはその後のラグビーにかなり生きていたなと思います。

この時のこういった早いタイミングでハイレベルな経験をしてしまって自分のイメージを変えてしまうという思考は、現在にも生きているような気がしています。

 

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